中高校生の皆さんは人は何のために努力をすると思いますか?
もし、努力をしないでも、何でもできるような能力をもらえるとしたら、ほしいですか?
今回は、私が努力の大切さについて学んだ経験をお話ししたいと思います。
私は小学2年生の頃に母に連れられ、新体操を習い事として始めることになりました。
新体操はスポーツの一種で、リボンやボールなどといった5種類の手具を使って音楽に合わせて演技を行います。音楽に合わせたリズミカルな動き、力強さ、スピード、柔軟性が必要な競技で、演技の美しさと芸術性を競い合います。
踊りで表現することの楽しさに魅了された私はどんどん新体操が好きになり、もっと上手になりたいと思うようになりました。
私は甲が高く、ひざが中に入り込むので体型的にめぐまれており、また、体が柔らかく柔軟(じゅうなん)性にも優(すぐ)れていました。
そのため、少し練習をするだけですぐに上達し、百何十人と参加する初めての大会で15位に、1年後には3位に入賞し、通っていたクラスの発表会ではセンターポジションで踊っていました。
今思い返しても、ある意味、私は新体操のセンスがあったのだと思います。
このように入賞するようになると、私はもっともっと上を目指したいと思うようになり、私は強化選手用の競技部というクラスの試験を受けました。
そこは全日本大会レベルの選手を育てるようなクラスであり、まだまだ新体操を始めて一年と少ししか経っていないような人が受けるようなものではありませんでした。
しかし、新体操のセンスのあった私は試験に合格し、育成選手として競技部に入りました。
周りの合格者は長年努力をし、やっと競技部に入ったのですが、私はするりと、さほどの努力もせずセンスだけで入ったのです。
競技部では毎日の厳しい練習が待ち受けていました。
柔軟では写真のような練習をします。痛いと泣き叫んでもグッと足の付け根の部分を押して、25秒間耐えるのです。
こんな格好をしたら骨が折れてしまうのでは?と思う方も多いと思いますが、折れることはありません(笑)
この練習は新体操選手にとっては当たり前のもので、こうした厳しい練習なしには上手にはなれないのです。
今までさほどの努力もしてこなかった私にとっては想像を絶する練習でした。
また、成長が早く、センスがあった私に対する先生からの期待は大きいものでした。
精神面を鍛えるためにも「やる気がないんだったら帰れば?」「もう大会出なくて良いから、あんたはいらない」などの厳しい言葉がかけられました。
当時はまだ子供でそういった厳しさの裏に、私に対する大きな期待があったということに気が付かず、悔し涙を流しながら何故私だけこんなに怒られるのか、自分が何をしたんだ、何がいけなかったのか、などひたすら反省をする日々でした。
競技部に入り練習の辛さから新体操を辞めたいと思う気持ちがだんだんと大きくなってきました。
私は新体操が好きだった自分を見失ったのです。
「私は何のために新体操をやっているんだろう。」
また、競技部で団体演技(5人で演技を行います)のセンターに選ばれて大会に出場をしたりなど、確実に上手くなってはいましたが、周りの努力をして入ってきた子たちの方が全然すごいと引け目を感じていました。
「何で皆んなは厳しい練習から逃げ出そうと思わないんだろう。弱音を吐かないんだろう。」
そして私は競技部に入って一年で新体操を辞めました。
私は新体操が大好きでした。踊りで表現をすること、みんなから注目されるあの緊張感、音楽と一体になること、何もかもが大好きでした。
皆んなから上手と言われる優越感、大会で入賞すること、センターポジションに選ばれること、全てが快感でした。
しかし私はすぐにその新体操を諦めたのです。
というより、すぐに諦めることができたのです。
なぜだかわかりますか?
それは努力をしないでも、すぐに上手になれたからです。センスだけでここまで来たからです。
長年の努力を重ねてここまで来ていれば「自分は新体操が好きなんだ!どんな辛い練習でも乗り越えるんだ!上手くなりたいんだ!」という考えは、強かったでしょう。
また、今までの努力を無駄にしたくないという思いが生まれたでしょう。
例えば皆さんがテストのためにたくさん勉強をするとします。そのとき、勉強すればするほど、「いい点を取りたい!勉強した分を無駄にしたくない!」という考えは強くなるはずです。そして、テストの2日前くらいに「もういいや、無理だ、諦めよう。」と投げ出すなんてことはしないと思います。
それと同じです。
もし、ひたすら努力を積み重ねて、やっとの思いで競技部の選手に選ばれていれば、競技部の選手を、そして大好きな新体操自体を、いとも簡単に辞めてしまうなんてことはないと思います。
つまり努力とは、ただ単に結果を得るためのものだけではなく、何があっても乗り越えるという、結果までの道のりに耐(た)える力を生み出すんだと思います。
逆に努力をしないでも上手くこなせる人は、惜しみもなく簡単にそれを辞めることができるんです。
中高生の中には、頑張ってるのにうまくいかない、努力しても良い結果が出ないと悩んでる方もいると思います。
でも努力をする意味は、ただ単に良い結果を出すためだけではないのです。
それではもう一度皆さんに聞きます。
もし、努力をしないでも、何でもできるような能力をもらえるとしたら、ほしいですか?
※追記
その後私は新体操を再び始めることはありませんでした。しかし踊ることが大好きだった私はバレエを習い始め、新体操で培(つちか)った柔軟性やリズム感を生かしバレエでコンクールに出場しで入賞したり、発表会で主役を踊ったりなど活躍しました。
それでもたまに、あの時ずっと新体操を続けていれば…と後悔することは多いです。
なんであんなにあっさり辞めてしまったんだろう…と。
しかしどんなに後悔しても過去は変えられません。
だから私は、小学生という幼い時点で「努力は良い結果を出すためだけのものではない。その後のつらい試練を乗り越える忍耐(にんたい)力を生み出すものなんだ」と学ぶことができ、ラッキーだったと考えるようにしています。
この学びがなければ、努力することの大切さを今ほど深く理解していなかったと思います。
テスト前にがむしゃらに勉強することもなく、今頃適当にのんびりと生きていたと思います。
また、ある意味この経験がトラウマとなって、もう絶対に後悔したくないと人生の選択に慎重になりました。
人生で一番後悔していることですが、一番学びがあった、大切な出来事です。
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